1. ホーム
  2. 日本人ドライバーのブログ

日本人ドライバーガイドのブログ

日本人ドライバーガイドのブログ

アウシュヴィッツ強制収容所 6

アウシュヴィッツ強制収容所 6

2016年06月22日

チクロンB

 

ガス室外部

 

ガス室内部

 

ガス投入口

 

死体焼却炉

 

元々は殺虫剤として開発された生産ガス系化合物チクロンBが殺戮に使用されたのですが、1500人を殺害するのに5-7キロ使用され、所掌時間は15-20分程度でした。

この収容所に残されているガス室は、戦後再建されたものになります。

 

アウシュヴィッツ強制収容所 5

アウシュヴィッツ強制収容所 5

2016年06月22日

収容者たちの名前が書かれたトランク

 

義足やコルセット

 

食器類

 

メガネ

 

 

多くの国から輸送されてきたユダヤ人の持ち物は略奪され、収容者達によって仕分けされてからドイツ本国に送られました。

髪の毛はフェルトの材料、時計などはドイツ軍兵士に支給され、今でも膨大な量の仕分けされた品物が展示されています。

 

アウシュヴィッツ強制収容所 4

アウシュヴィッツ強制収容所 4

2016年06月22日

オーケストラが演奏した場所

 

「働けば自由になる」と表示されたゲート

 

強制労働の様子。
カポ(監督囚人)に急き立てられて労働する様子。

 

 

売春施設だった24aブロック

 

収容者たちは、劣悪な生活環境の中で、周辺の軍需工場などで過酷な労働を強いられたのですが、毎日、門の前でオーケストラが演奏する行進曲に合わせて、「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」と表示されたゲートを通って強制労働に向かわされました。

ゲートのそばの24Aブロックには、後に収容者たちの労働を鼓舞する目的で、女性収容者を利用した買収宿が設置されました。



 

アウシュヴィッツ強制収容所 3

アウシュヴィッツ強制収容所 3

2016年06月22日

収容所見取り図

 

収容所の建物

 

人体実験が行われた10番ブロック

 

支給された食べ物

 

懲罰ブロックと呼ばれた11番ブロック

 

1940年5月、親衛隊長官ハインリッヒ・ヒムラーは、ポーランドのオスヴェンチムにあるポーランド軍駐屯地であった敷地に強制収容所が開設されました。

レンガ造りの約30棟からなる収容所には、最初はポーランドの政治犯やソ連軍捕虜など、後にはユダヤ人などが収容され、建物の中のわらを敷いた部屋に寝かされましたが、後に木製の3段ベッドが置かれました。

ユダヤ人の絶滅を図るために、10番ブロックでは女性には外科手術、レントゲン線放射などによる不妊処置の人体実験が行われました。

毎日支給される食事は、1500-1700カロリーで、朝はコーヒーと呼ばれる出し汁、昼は薄いスープ、夜は約300グラムのパンと約30グラムのジャムはソーセージが支給され、収容者たちは急激にやせ衰えていきました。

医療設備もなく、「生き残らない」と判断された人たちはガス室に送られるか、フェノールを心臓に注射されて殺害されました。

11番ブロックは懲罰ブロックと呼ばれ、ここの地下で600人のソ連軍捕虜と250人のポーランド人に対する最初のチクロンBを使ったガス殺戮が行われ、他の収容者の代わりに飢餓死刑を受けたマキシミリアン・コルベ神父の懲罰房が残されています。

また、10番と11番ブロックの間にある中庭では銃殺刑が行われ、その壁は死の壁と呼ばれています。


 

アウシュヴィッツ強制収容所 2

アウシュヴィッツ強制収容所 2

2016年06月12日

受付バラック

 

番号を刺青をするための道具

 

個人登録カード

 

収容者たちの写真

 

収容者別のワッペン

 

ガス室行きを逃れ、労働力として一時の期間、死を逃れた人たちは、全身の毛髪を刈り取られた後で受付バラックで収容者番号を左腕に刺青され、写真を撮られて個人カードの登録されました。

また、この収容所には政治犯、戦争捕虜、ユダヤ人、非社会的人物、ものみの塔信者、聖職者など、さまざまな人達が収容されていましたが、それぞれに違ったワッペンを左胸に縫い付けられていました。



 

<< 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 >>
ページの先頭へ

表示:スマートフォンPC