アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 6
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 6
女性収容所内の16aバラック内部の壁に壁画が描かれていました。
これは、特別に家族で収容を許された人たちが、子どもたちのために、「できるだけ日常生活の雰囲気を出してやろう」という気持ちで、親衛隊の許可を得て描かれたものと聞いています。
学校に行く子供の風景、子どもたちが遊ぶ風景など、両親たちの気持ちがよく現れています。
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アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 5
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 5
到着した人たちの荷物は、そのままプラットホームに残され、「カナダ」と呼ばれる倉庫で収容者達によって細かく仕分けされ、まとめてドイツ国内に運ばれました。
資源豊かな国であるカナダから名前が取られたと言われています。
また、ガス死した人たちの金歯などは、ゾンダーコマンドによって抜かれ、溶かされて延べ棒の形で帝国銀行に送られました。
収容者で「もはや死を待つしかない」と思われた人たちは、「死のブロック」とおバレルブロックに移され、ガス室に送られるのを待つだけにされました。
また「死の天使」と呼ばれたメンゲレ博士は、双子の子どもたちの人体実験を行いました。
このアウシュヴィッツで死亡した人たちの人数は110万人と言われています。
また、アウシュヴィッツに収容されていた人数は、1944年8月21日の記録では10万4878人とされています。