アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 4
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 4
第3,第4ガス室は、地上階に造られました。
ビルケナウ強制収容所での死体焼却能力は合計約4千体でした。
燃料はコークスを使いましたが、節約するために、脂肪の多い女性と男性を一緒に焼却炉に入れるような工夫もされました。
残渣物の骨は砕かれ、焼却場付近の池や川に捨てたり、肥料に利用されました。
生きることを許された人たちは、「サウナ」と呼ばれる建物で体中の毛髪を剃られ、シャワーを浴びました。
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 3
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 3
ビルケナウにはガス室が4ヶ所あり、第2,第3ガス室は脱衣場とガス室が地下、死体焼却場は地上に造られました。
「シャワーを浴びる」と聞かされた人たちは、脱衣場では、「後で見分けがつくように靴を紐で結ぶように」指示されました。
ガスで殺戮された死体は、「ゾンダーコマンド(特別作業班)」と呼ばれ、他の収容者よりも食料配布などがよりよいものを与えられました。
それでも、ザンダーコマンドの人たちも、いずれはガス室に運ばれる運命にあったのです。
1944年5月からハンガリーからのユダヤ人輸送が始まり、焼却場では処理しきれないために、野焼きが行われました。
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 2
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 2
ヨーロッパ各地から強制輸送の貨車に乗せられて一度に約千人もの人たちがこの地に送られてきました。
貨車から投げ出されるように降ろされた人たちは、男女別に並ばされ、生死を分ける選別を受けましたが、それに従事する収容者たちは、到着した子どもたちには、「年齢を聞かれたら14歳だと応えろ!」、子供連れの若い母親には、「子供から手を離せ!」と囁き、できるだけ生存者を残すように声をかけました。
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 1
アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 1
1941年10月、アウシュヴィッツ基幹構成種幼女から約3キロほど離れた場所に、1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)の敷地にビルケナウ強制収容所が開設されました。
この収容所には、最初なレンガ造りのバラック、その後に。本来であれば52頭の馬を収容する厩舎を使用した木製バラック群が設置されました。
よく映画などで紹介される司令塔を通る引き込み線は、1944年5月にハンガリーからの約40万人のユダヤ人を受け入れるために設置されたものになります。
労働に耐えられない老人や14歳未満の子どもたちは、左に寄せられ、そのままガス室に送られました。