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日本人ドライバーガイドのブログ

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ホラショヴィーチェ

ホラショヴィーチェ

2014年02月11日

左右対称の家が2件ずつ並ぶ街並み


 

中庭


 

小さな博物館のおじさん


 

広場の像


 

小さな礼拝堂とネポムクの像


 

ドイツを中心として、個人旅行のご案内をしていますが、お客様から、私も全く知らない観光名所に連れて行ってほしい、というリクエストが良くあり、そういう場合は、私も事前に調べるのは当然ですが、その地に行くのが非常に楽しみでもあります。

そうすることにより、自分の行動範囲も広がることはさることながら、お連れしている自分自身も、新しい感動を体験できるのですから。

このチェコのホラショヴィーチェという世界遺産として指定された人口約140人程度の小さな村も、ハンガリーとチェコの個人旅行を2週間にわたって手配、ご案内をしたお客様からのリクエストがあり、チェスキー・クルムロフからナヴィゲーションシステムに惑わされながらもやっとたどり着きました。

調べてみると、この村は13世紀に遡り、ペストが蔓延したり、様々な影響で、大きくなれなかった村のようです。

特に第2次世界大戦後は、村の大部分を占めていたドイツ系住民が追放されたため、荒れ放題になったままだったそうですが、1990年から修復が行われ、その後世界遺産に指定されたため、住民が戻ってきた、ということです。

この村の特徴は、村の広場を囲むように19世紀ごろに建てられた、パステルカラーで簡素に彩られた23軒の家が並んでいるのですが、良く見ると真ん中の入り口扉を挟んで、その2軒ずつが左右対称に建てられているのに気が付きます。

これは、いわゆる、「スープの冷めない距離」、ということで、息子が家庭を持ったら親子別々の家に住む、ということなのだそうです。

いつの時代も、どこの世界でも、嫁と姑の確執はあるということなんでしょう。

ところで、この村の周辺には同じような村があるようで、もしかしたら、他の村が世界遺産の指定を受けたかもしれません。

「しまった!先を越された!!」、と歯ぎしりしている村があるかも。

 

ホーエンツォレルン城

ホーエンツォレルン城

2014年02月06日

お城の遠景

 

お城の外観

 

プロテスタント礼拝堂

 

プロイセンの王冠とフリードリッヒ大王の煙草入れ

 

色々なジャガイモ

 

ドイツの大学町チュービンゲンから約30キロほど南下すると、小高い山の頂上にお城が見えて来ます。

これが、11世紀に遡る、日本でいえば天皇家に当たるドイツの由緒ある貴族ホーエンツォレルン家の所有するホーエンツォレルン城です。

このお城は3代目に当たり、最初は1267年に建造され、現在のお城は1873年に完成したのですが、再建を提唱した若フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、その完成を見ることなく亡くなりました。

ちょうどこのころ、まだドイツはプロイセン、バイエルン、ヘッセン、ザクセンといった30以上の大小さまざまな国に分かれており、ドイツ統一機運が高まった、いわゆるドイツロマン主義の最高潮に立った時代で、このような中世のお城を再建するのが流行したのです。

そのお城の中で有名なのが、ノイシュヴァンシュタイン城であり、このホーエンツォレルン城というわけです。

現在では、ファンタスティック街道の名所として日本人観光客も訪問するようになり、城内のプロテスタント礼拝堂では結婚式も行われ、日本人のカップルも挙式に訪れます。

何を隠そう、私もこのお城での挙式の一番乗りのお手伝いをさせていただきました。

先日このお城を訪れた際、ちょうど解放の日で、ホーエンツォレルン家で最も有名なプロイセンの哲学王と言われたフリードリッヒ大王がジャガイモを普及させたと言われており、その理由でしょうか、いろいろなジャガイモの展示が行われていました。

 

ボン

ボン

2014年02月03日

市役所とマルクト市場

 

ボンの大聖堂

 

ポスト広場のベートーヴェン像

 

ベートーヴェン生家

 

中庭のベートーヴェン胸像

 

ボンと言えば、音楽の好きな方たちはすぐに、「ドイツの大作曲家ベートーヴェンの生まれた町」、ということを思い浮かべるでしょう。

クラシック音楽好きのお客様を個人旅行手配する場合は、必ずと言ってよいほどこの町を訪れます。

1770年12月17日にボンの宮廷テノール歌手の息子として生まれたのですが、父親が、「モーツアルトの再来にしよう」とスパルタ教育をしたと言われています。

22歳のころにウィーンに移り、第1交響曲を発表したのは30歳になってからでしたので、どちらかと言えば「大器晩成型」と言えるでしょう。

彼は多くの作品を残したのですが、特に第9交響曲は誰でもが一度はそのメロディを耳にしたことでしょうし、その偉大な作品はこれからもずっと演奏され続けることでしょう。

57歳でなウィーンで亡くなるのですが、現役時代は決して裕福な生活を送っていたわけでもなかったらしく、特に耳が聞こえなかったために、癇癪持ちで、50回以上引越ししたとか。

その生家は、現在は博物館として公開され、町の中心近くのボンガッセにあります。

中は撮影が禁止なので、入り口と中庭だけの写真になります。

また、この町は戦後、西ドイツの仮の首都として制定されたのですが、わずか人口8万人の町に持ってきたので、「連邦首都」ではなく、冗談で、「連邦村」と呼ばれていました。



 

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