ハン・ミュンデン
ハン・ミュンデン
ドイツ・メルヘン街道のフルダ川とヴェラ川が合流する地点に、ハン・ミュンデンがあります。
この町は、博物学者、探検家であったアレキサンダー・フォン・フンボルトが、「世界でもっとも美しい7つの町のうちのひとつ」、と絶賛した町ですが、何よりもこの町を有名にしたのは、やぶ医者の代表である、「鉄ひげ博士」、の存在でしょう。
彼は実際の人物で、17世紀終わりから18世紀初頭まで、放浪の医者として生活をしていましたが、やぶ医者どころではない、非常に優秀な医者であったとのこと。
彼が住んでいた家にはその銅像が置かれていますが、銅像の下には、「その評判とは違った人物であった」、と刻まれています。
この町の見所はなんと言っても、560軒と言われる多くの木組みの家並みでしょう。
そのほとんどは16〜7世紀に建てられたもので、軒先の彫刻や木組みの模様など、多くの商人たちが競い合って施した装飾を眺めるだけでも興味深いものがあります。
ハーメルン
ハーメルン
メルヘン街道の町ハーメルンは、ねずみ退治の不思議な男であまりにも有名です。
1284年のこと、ヴェーザー河畔のこの町は、穀物の集積地であり、水車小屋を使った製粉業が盛んでしたが、ねずみによる被害で町の参事官たちは頭を悩ましていました。
そこへ、派手な服装をした男がやってきて、「ねずみを残らず退治してあげます」、と申し出て、笛を吹きながら町のねずみをおびき出し、ヴェーザー川に導いて残らず溺死させてしまいました。
ところが、町の参事官たちは、彼に報酬を払うことなく追い出してしまったのです。
数日後、男が再び町に姿を現し、今度はねずみでhなく、町の子供たちを笛でおびき出し、遠くの山に連れて行ってしまいました。
130人もの子供たちが姿をくらましたことから、町は大騒ぎとなり、大人たちは懸命に探したのですが、子供たちは行方不明になったままでした。
ざっと、こういうお話なのですが、このように、歴史的背景に基づいたお話は、メルヘンではなく、「伝説」、と呼ばれます。
ドイツでは13世紀ごろ、東方に開拓民として移住した人たちがおり、鳴り物入りで、「東方に行けば豊かな土地がある」、といったキャンペーンをしたのが、この不思議なねずみ男のモデルになったのではないか?と言われています。
また、この子供たちは、現在のルーマニアのトランスベニア地方から出て着た、とも言われています。
夏の期間、この町の広場では子供たちがねずみに扮し、派手な衣装を着たねずみ男が楽器を鳴らしながらお芝居を披露してくれます。
私はそのお芝居を一回だけ見たことがあるのですが、まだデジカメがなかったので、写真に収めることができませんでした。
残念!!
ノエー・スー・セラン
ノエー・スー・セラン
フランスワインの名産地のひとつであるブルゴーニュ地方のノエー・スー・セランと言う小さな訪れました。
「セラン河畔のノエー」と言う意味の村なのですが、何がきっかけでこの村を訪問することになったのかは忘れてしまいました。
12世紀にできた村らしいのですが、古い木組みの家がひっそりと立ち並んでいます。
ハルシュタットの岩塩鉱山
ハルシュタットの岩塩鉱山
ハルシュタットからケーブルカーに乗って上に登り、さらに15分ほど歩くと、1927年まで採掘されていた岩塩鉱山の見学ができるようになっています。
まずは作業服に着替え、ガイドさんの案内で、しばらく坑道を歩き、滑り台で下まで降りたり、といったアトラクションを楽しみながら、どんどん鉱山の奥深くまで入って行きます。
岩塩は、本来であれば真っ白なのですが、不純物によってその色が違ってくるのですが、そのようなさまざまな岩塩や昔の採掘方法、地底湖などをめぐりながら、最後はトロッコに乗って外に出る様になっています。
ハルシュタット
ハルシュタット
オーストリアのザルツカンマーグート地方のハルシュタットです。
ハルシュタット湖畔の猫の額ほどの土地に、文字通りへばり付いてような小さな町になります。
「ハル」は、ケルト語の「塩」に由来しており、まだ冷蔵庫がなかった時代には、塩が唯一の防腐剤として使われ、そのために塩の産地は例外なく裕福な町でした。
また、1846年にこの町の近郊で対規模な先史時代の遺跡が発見され、紀元前13世紀から5世紀まで中部ヨーロッパにおける青銅器時代後期から初期鉄器時代までのさまざまな道具が発見されたことから、「ハルシュタット文化」と呼ばれる様になりました。
この町は1979年からユネスコの世界遺産に指定され、世界中から観光客を惹きつけています。
お土産に、ここから算出された塩をお買い求めになってはいかがでしょうか?