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日本人ドライバーガイドのブログ

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ザクセンのスイス

ザクセンのスイス

2013年04月20日

展望台からエルベ川の臨む


 

 

バスタイの橋と遠くにケーニッヒシュタイン要塞を望む


 

こういう多くの奇抜な岩が並んでいます


 

中世の城跡


 

ドレスデンからエルベ川を30キロほど遡ると、「ザクセンのスイス」という風光明媚な場所があります。

ここは、海底に堆積した砂岩が地殻変動で盛り上がり、それが長年の風雨に晒されて色々な形で残された巨大な岩が並んでいる場所で、世界遺産にも指定されています。

特に、「バスタイ」と呼ばれる場所には、中世の時代に城(というより砦)があったとのこと。

エルベ川を往来する船から通行料を徴収するためのの監視所であったのでしょう。の

19世紀に建造された橋は、その風光明媚なこの地をさらに印象深く見せてくれるため、シーズンになると観光客が後を絶ちません。

何を隠そう、私はこの場所が大好きで、ドイツ個人旅行のお客様で、ドレスデンに3泊する時などは、時間の許す限り、この場所をご案内し、さらには、できればエルベ川の川下りをしていただくことにしています。


 

シュプレーの森

シュプレーの森

2013年04月20日

カーンの船着場




 

観光客の乗ったカーンが行き来します




 

カヌーに乗る人たち




 

この様な小さな家に住んでいます




 

郷土博物館




 

ベルリンからドレスデンに行く途中、ちょうど真ん中あたりにシュプレーの森と呼ばれる一帯がります。

ここは、森と言うよりは、水郷地帯と言った方がふさわしい場所です。

ベルリン市内を流れているシュプレー川の上流で、約500平方キロメートルの場所に約200の小さな川が延長1300キロにわたって入り組んでいる水郷地帯になります。

この地方にはドイツ人とは違った言語、そして文化を持つスラブ系のソルベン人が20万人ほど住み、独自の言語、文化を細々とながらも受け継いでいます。

この地区の交通は、イタリアのヴェニスとは比べるべくもないものの、カーンと呼ばれる小船が使用され、ゴミ回収、郵便配達なども、このカーンを利用して行われています。

私がドイツ個人旅行のお客様をご案内する場合、天気と時間さえ許せばここに立ち寄り、2時間ほどののんびりとした舟遊びをして頂くことにしています。


より多くの画像を見たい方は
http://4travel.jp/traveler/occhan/album/10269736/
を検索してください。



 

シュトラスブール大聖堂

シュトラスブール大聖堂

2013年04月20日

大聖堂正面

 

正面入り口に施されたキリストの生涯を描いた彫刻

 

本陣内部

 

仕掛け時計

 

バラの窓と呼ばれるステンドグラス

 

シュトラスブールの象徴とも言えるこの大聖堂は、高さが142メートルで、1874年まで世界一の高さを誇った建築物です。

この地に9世紀ごろから教会が建てられたのですが、幾度かの火災の後、1176年から1439年にかけて、 最初はロマネスク様式、その後にゴシック様式に建築様式が変更され、現在の形に完成されましたが、 正面を良く見ると、右側の尖塔が欠けたままに未完成になっています。

北側に置かれている高さ18メートルの仕掛け時計は、1843年に完成したもので、毎日12時半に動くのですが、12人の使徒がキリストの前を通り、天使が砂時計を回す、と言った動きを見せてくれます。



 

シュトラスブール

シュトラスブール

2013年04月20日

大聖堂

 

大聖堂広場とホテル・カンマーツェル

 

古い町並み

 

グーテンベルク広場

 

しゃれた路面電車

 

フランス・アルザス地方の中心地、ストラスブールは人口27万人ほどの町で、ライン川を挟んで ドイツと国境を接しており、町の語源はドイツ語の「シュトラーセ・ブルク(街道の町)」に由来しています。

その由来の通り、ローマ領であった後は、「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」の帝国自由都市のひとつとして ライン川の交通の要所でもあった町は非常に栄えます。

印刷術を発明したグーテンベルク、ドイツの文豪ゲーテも、この町に滞在していました。

17世紀になってからルイ14世の膨張政策、30年戦争の影響でフランス領地となり、1870年の普仏戦争にプロイセンが勝利することによってドイツに併合されました。

後の第一次世界大戦後にはフランス、ナチスドイツ支配時代にはドイツ領といった具合に、歴史の悪戯に翻弄され、 現在ではフランス領となり、公用語はフランス語ですが、多くの高齢の方はドイツ語に近いアルザス語を話しますし、スイス人のドイツ語よりはずっと聞きやすい発音です。

町の見所は、何と言っても町の中心に聳え立つ大聖堂、旧市街、皮なめし職人地区であったプチ・フランス地区、そして、 しゃれたお店が並ぶ旧市街でしょう。

ライン川を挟んでわずか数キロしかないのですが、言葉から食べ物さえも全く違ったものになるのは、これぞヨーロッパ、という感じがします。

アルザス地方には日本人ガイドがほとんどいらっしゃらないそうで、ドイツ観光と絡んだ観光グループをご案内するために、たまに行くことがありまして、時間がある場合には、大型スーパーマーケットに寄り道して、豊富な魚介類、牛肉、チーズ、ワインなどを買って帰るのも楽しみのうちのひとつです。

 

ザルツブルク

ザルツブルク

2013年04月20日

ミラベル宮殿からホーエンザルツブルク城を望む

 

ミラベル公園で見かけたブラスバンド

 

町の繁華街ゲトライデガッセ

 

市内の墓地

 

ホーエンザルツブルク城から旧市街を望む

 

人口15万人を擁するオーストリア第2の都市ザルツブルクは、19世紀になって初めてオーストリアに属し、ウィーンから300キロ以上も離れており、しばらくはドイツ領だったために、ドイツの影響が大きい町です。

この町の近くで取れる塩はザルツブルク大司教による専売品となり、町を流れるザルツァッハ川からドナウ川を下って黒海まで送られ、この塩によって町は大いに発展しました。

スタンダールの「恋愛論」には、「ザルツブルクの塩の廃鉱校に木の枝を放置すると、やがて塩の結晶が付き・・・・」という表現が出てきます。

また、この町はあの天才作曲家のモーツァルトが生まれ、25歳までこの町で活躍しました。

「ドレミの歌」でおなじみのサウンドオブミュージックというミュージカルは、この町の家族の実話を元に、最初は舞台ミュージカルとして上演されたのですが、ジュリー・アンドリュースによる主演の映画で大ヒットしたのは、ご存知の通りです。

そして、「音楽界の帝王」と呼ばれ、ザルツブルク音楽祭の監督であったヘルベルト・フォン・カラヤンも、1908年にこの町で生まれました。

というわけで、この町はモーツァルト、サウンドオブミュージック、ザルツブルク音楽祭と言う様に、音楽一色で染められていると言っても過言ではないでしょう。



 

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