グリンデルワルト
グリンデルワルト
多くの日本人観光客が訪れるユングフラウ鉄道が出るグリンデルワルトの町。
標高1034メートルに位置するこの町は人口が約4千人で、そのほとんどの方が観光事業に携わっています。
北壁で有名なアイガー、ヴェッターホルンなどの山々を目前に眺められるこの町は、日本からの観光客で賑わい、そして、その観光客目当てのお店がずらりと沿道に並んでいます。
スイスは何と言っても天気の良し悪しで全てが決まると言っても過言ではありません。
また、山の天気は変わり易く、ちょっとしたタイミングで景色がガラッと変わってきます。
そういうわけで、できることならこの街に2泊したいところです。
ケールシュタインハウス(ヒトラーの茶室)
ケールシュタインハウス(ヒトラーの茶室)
1939年、ヒトラーの秘書長であるマルティン・ボルマンは、ベルヒテスガーデンの標高1881メートルのケールシュタイン山頂に、1940年のヒトラーの50歳の誕生日のために13ヶ月の突貫工事で、茶室を造らせた。
1700メートルまでの専用道路に加え、124メートルのエレベーターは、大きな真鍮製で、内部が鏡で覆われているものである。
戦後、この周辺のベルクホーフと呼ばれるヒトラーの別荘として使われ、政府高官との会談、特にイギリスのチェンバレン首相と会談した一連の建物は破壊されたが、この茶室だけは地元のある医師の努力で破壊を免れ、現在では多くの観光客が訪れています。
天気の良い日には眼下にケーニッヒスゼー、そして遠くにはザルツブルクの町を望むことができます。
南ドイツを個人旅行なさり、ザルツブルク経由でウィーンに向かう行程のお客様には、天気のいい日にはこちらを観光なさることをお勧めしています。
ケルン大聖堂
ケルン大聖堂
世界遺産に指定されているケルン大聖堂は、1248年に工事が始められ、その完成を見たのは600年以上後の1886年のことでした。
この大聖堂は、フランスのゴシック形式の教会建築に携わったゲルハルト・フォン・ライルという建築家によって構想されたものですが、工事はなかなか進まず、とうとう16世紀の宗教改革時期に中断してしまい、工事が再開されたのは1800年ごろからになります。
この教会の工事再開を企画したのは、マインツのある美術商で、ちょうどその時、パリとマインツで、2枚に裂かれたこの大聖堂の図面が同時に発見され、その工事再開を訴えるのですが、あまり注目されませんでした。
そこへ、かのゲーテが未完成の大聖堂に魅了され、完成させるべく運動を起こし、ちょうどフランスの支配下にあったドイツ諸国が我も我もと、この建設のために協力を惜しまないという現象が起きました。
ちょうど建設技術が発達してきていた時期でもあり、内部構造は鉄骨を使用し、158,8メートルの尖塔を持つこの大聖堂は、パリのエッフェル塔が完成するまで世界最高の建築物となりました。
ドイツ旅行の一般的な観光コースからは離れているのですが、「どうしても」とご希望の方をご案内することがあり、お客様は、その重厚さと大きさに目を見張り、ご満足いただけます。
コブレンツの「ドイチェスエック」
コブレンツの「ドイチェスエック」
ドイツの大動脈であり、「父なるライン」と呼ばれるライン川とモーゼル川が合流する地点にコブレンツと言う町があり、その合流地点は、「ドイチェスエック(ドイツの角)」と呼ばれています。
ここには1897年に、当時のドイツ皇帝であるヴィルヘルム1世の大きな騎馬像が設置されていましたが、第2次世界大戦でアメリカ空軍に砲台と間違えられて破壊され、ドイツ統一の慰霊碑としてそのままにされていたのですが、統一後の1993年に再建されました。
リューデスハイムからの川下りの後でケルンに向かう途中にちょっとお寄りしてみました。
シオン城
シオン城
ドイツからドライバーガイドとしてスイスに抜け、マッターホルンを後にしてジュネーブに向かうというスケジュールの場合は、途中、ジュネーブ湖畔にあるシオン城に立ち寄ることにしています。
この城は、1150年に初めて古文書に現れるお城ですが、13世紀になってサヴォイ家の支配時代、このお城は今の形に拡張されました。
このお城は、サン・ベルナール峠を越えてイタリアに続く道路を通る品物に税金をかけるために建造されたもので、現在でも、中世のその姿を留めています。
興味深いのは、地下のボニヴァールの牢獄で、イギリスの作家バイロンは、ここの柱に自分の名を刻みつけました。
その他、城の内部の多くの部屋、中庭は非常に良い状態で保存され、見学者を満足させてくれるものとなっています。
タイミングさえ良ければ、ここからモントルーやローザンヌに向かう遊覧船に乗るチャンスに恵まれることも。