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日本人ドライバーガイドのブログ

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シュヴェリン城

シュヴェリン城

2013年01月10日

シュヴェリン湖に浮かぶシュヴェリン城

 

城とニクロート大公の像

 

未完成の補修工事

 

シュヴェリン湖畔の庭

 

イギリス風庭園

 

旧東ドイツのメックレンブルク・フォアポッメルン州のシュヴェリンは、7つの湖に囲まれた人口10万にも満たない小さな町で、ドイツの15州の中で最小の州都になります。

この町を訪れる日本人は、わずかの個人旅行でいらっしゃる方たちを除けば、ハンブルク、あるいはリューベックあたりからベルリンに向かうグループ旅行のお客様がたまにいらっしゃるだけかもしれません。

私自身も、個人旅行のお客様をご案内したことはありませんし、この町を訪れることは2回だけで、1回目はプライベート、2回目はドレスデンからハンブルクにミニバス・ハイヤーを回送する際に立ち寄っただけになります。

この町の見所は何と言ってもシュヴェリン城になります。

最初の城は1160年に、東方への拠点として造られたものになりますが、現在の姿に建てられた城は19世紀のものになります。

東ドイツ時代は補修が遅々として進まなかったのですが、再統一以来、急ピッチで進められています。

 

シュトラスブール大聖堂のステンドグラス

シュトラスブール大聖堂のステンドグラス

2013年01月08日

大きなステンドグラス

 

脱エジプト

 

最後の晩餐

 

キリストに口づけするユダ

 

十字架を担ぐキリスト

 

13世紀ごろになると建築技術が発達し、ロマネスク様式の様に、それまで壁で支えられていた建物が、柱で支えられるようになり、そのおかげで窓が大きく取れるようになってきます。

そしてその窓にステンドグラスを入れ、イエス・キリストの生涯や聖書の教えを描いたステンドグラスを入れて、一般市民にその教えを説くのです。

中世の時代に、字が読める人たちというのは、ごくごくわずかなものだったでしょう。

字の読めない人たちに、この様な絵を示すことで聖書の教えを説く、要するに、今で言う、「紙芝居」、という感じであったのです。

それとは別に、天井をアーチ型に取ることにより、外側にかかる圧力を支えるために、教会の外壁には重い支柱が置かれ、それにまた彫刻がなされることによって、より重厚で威厳のある建築物となって行きます。

 

ザンクト・ヴォルフガング

ザンクト・ヴォルフガング

2013年01月07日

ザンクト・ヴォルフガング湖

 

町並み

 

 

シゃーフベルク鉄道

 

白馬亭

 

オーストリアのザルツカンマーグート地方のハルシュタットはあまりにも有名なので、結構行く機会はあるのですが、ザンクト・ヴォルフガングは、ドイツからオーストリアに行くご案内でも、ほとんど寄ることがありません。

日本人ガイドとして27年にわたって活動しているのですが、ここにお寄りしたのは1回だけ。

3千人にも満たない小さな集落ですが、シーズンになると避暑に訪れる観光客で賑わい、天気の良い日に斜めに傾いている蒸気機関車で登る登山鉄道でシャーフベルクに行くのもよろしいでしょう。

また、この村の白馬亭(ヴァイセ・レッスル)というホテルは、同じ名前のオペレッタの舞台となったホテルで有名です。

 

シュテルンゼンガー(星の歌い手)

シュテルンゼンガー(星の歌い手)

2013年01月07日

シュテルンゼンガー

 

東方3賢人の遺骨棺

 

1月6日は、「東方3賢人」というカトリックの祝日になります。

当時の世界であるヨーロッパ、アジア、アフリカのそれぞれの国王(カスパー、メヒオーア、バルダザー)が、「神の子がお生まれになった」という知らせを受け、星に導かれながらベツレヘムに向かいます。

その逸話に習い、この日は3人の王様と星の持ち手の4人の子供たちが、その扮装をしてカトリック信者の各家庭や、老人ホームなどを訪問し、歌を歌って無病息災を祈願してくれます。

そのお礼にいくらかの募金をし、集まったお金はアフリカの難民などのために寄付されるのです。

ケルンの大聖堂には、この3賢人の遺骨が納められた棺が本陣に納められており、普段は遠くからしか見れないのですが、この日だけは本陣が開放され、間近にその棺を見ることが許されます。

その日にちょうどケルンの大聖堂を観光する機会が得られました。

この日は参拝者でごった返しておりました。

 

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