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日本人ドライバーガイドのブログ

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キンデルダイク(オランダ)

キンデルダイク(オランダ)

2012年11月21日

風車群

 

水面より低い土地(右端)

 

運河めぐりの遊覧船

 

風車内のメカニック

 

風車小屋内の部屋

 

ヨーロッパ最大の貿易港であるオランダ・ロッテルダムの近郊、キンデルダイクに風車が並んでいます。

1740年ごろ、この地のアルブラセルワールト干拓地の揚水を行うために19台の風車が建てられました。

国土の25%が海面よりも低いオランダは、洪水との戦いが最も重要な課題のひとつであったのです。

この風車群は1997年に世界遺産に指定されました。

 

カイザースベルク(フランス・アルザス地方)

カイザースベルク(フランス・アルザス地方)

2012年11月17日

シュヴァイツァー博士の像

 

シュヴァイツァー博士の生家

 

アルザス地方のマスコット、コウノトリ

 

うなぎの寝床のような町並み

 

家並み

 

フランス・アルザス地方のカイザースベルク(フランス語ではケゼルスベールと読む)は、人口2600人ほどの小さな村ですが、この村でかの有名な医師アルトゥール・・シュヴァイツアー博士が牧師の子として生まれました。

彼が生まれた当時はドイツ領であったため、最初はドイツ人、その後はフランス人として扱われています。

最初は神学、哲学博士の称号を獲得し、30歳になってから医学を学び、38歳の時にアフリカのガボンに渡って医学奉仕に身を捧げますが、フランス領であったため、捕虜となりました。

保釈後は医療活動に戻ると同時に、オルガン奏者として世界中から医療資金を募ります。

そのカイザースベルクですが、彼の生家は町の北にあり、現在では博物館として一般公開されています。

牧師の子供として生まれた博士は、比較的裕福な生活をしていましたが、あることがきっかけで社会奉仕と言うことを考えされられた、ということですが、聖職者の息子と言うことで、その様な考えに至る基盤があったのかもしれません。

ところで、この村は、大通りに沿ってうなぎの寝床のように南北に長く伸びており、小さな木組みの家が隙間なく並んでいます。

日本人の団体観光客はほとんど訪れることがないと思われますが、成城学園の校舎がここにあり、ヨーロッパに住む日本人の子供たちが全寮生活を送っています。



 

聖マルティンの日

聖マルティンの日

2012年11月11日

 

11月11日は聖マルティンの日で、カトリックの祝日になります。

ハンガリー生まれのマルティンがまだ兵士だった頃、冬の寒い時に物乞いに会い、彼に自分のマントを裂いて与えたのだが、そのもの甥はキリストであった、と言う逸話基づいた祝日で、この日に子供たちがランタンを持って町を練り歩きます。

また、マルティンス雁と名づけられたガチョウのローストに紫キャベツとダンプリングを添えた料理がこの頃に食べられます。


 

カルロヴィ・ヴァリ(チェコ)

カルロヴィ・ヴァリ(チェコ)

2012年11月10日

町の様子

 

ドリンクホール。
温泉は入浴だけではなく、
飲料温泉もあるのです。

 

飲料用温泉を汲む人たち

 

 

 

ドイツのマンハイムから出ている古城街道がバイロイトを過ぎ、チェコに入ると間もなくチェコの温泉地カルロヴィ・ヴァリに到達します。

ここは43〜73度の温泉が湧き出ており、この温泉をかのカール4世が偶然見つけたと言われおり、オーストリア領で鉄道が通る19世紀ごろから急速に発展していった町で、いわゆるリゾート地として、ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、ショパンなどが訪れています。

ずっとドイツ、オーストリア系の住民で占められていたのですが、戦後に強制的に移住させられました。

ベルリンの壁が開き、東欧が自由化されてからは町並みは整備され、多くの高級ブティックが並び、多くの観光客が訪れているようです。

特にロシアからの観光客が多いようで、町では英語の次に通用する外国語はロシア語かもしれません。

ちなみに、この町と日本の温泉地である草津市がパートナー都市契約を結んでいます。

オーバーコーヘン(カール・ツァイス)

オーバーコーヘン(カール・ツァイス)

2012年11月07日

カール・ツァイス社正面玄関

 

左からエルンスト・アッベ、
カール・ツァイス、オットー・ショット

 

顕微鏡

 

測量機器

 

眼鏡

 

ドイツを縦断するアウトバーン7号線を挟んでロマンチック街道のネルトリンゲンの反対側に、オーバーコーヘンという人口8千人ほどの小さな町があります。

実は、この町にドイツでも有名な光学機器会社のカール・ツァイス社があるのです。

もともとは、東ドイツのイエナにあった会社なのですが、会社の首脳部が西側に出国して新たにこの町に会社ができ、東のイエナと西のオーバーコーヘンともに、カール・ツァイスの商標を使用していました。

この会社にドイツ語通訳の仕事で行った際に、「この町に会社を設立した理由は?」と言う質問に、「技術者を乗せた汽車がここで立ち往生してしまった」と言う答えが返ってきたが本当だろうか?

この会社は創始者のカール・ツァイス、光学技術者のエルンスト・アッベ、ガラス技術者のオットー・ショットの3人に力により、世界最高の光学器械を生産しました。

特に、貧しい労働者の息子としてアイゼナッハに生まれたエルンスト・アッベは、計算によってレンズの形を数字で表すことに成功し、その大量生産を可能にしました。

また、彼はツァイスの後を引き継ぎ、会社を財団に編成替えをし、8時間労働、有給休暇、残業手当、年金制度などを世界に先駆けて実施し、開発した技術は特許とせずに公開し、自社の技術をさらに向上すべく研究スタッフの研鑽を鼓舞しました。

ベルリンの壁が開いた後、オーバーコーヘンはイエナの会社を吸収し、現在では、民需、軍需用の光学器械、測量機器、半導体の会社として、オーバーコーヘンだけでも4千人を抱える大工場となっています。

カール・ツァイスの眼鏡レンズと言えば、日本でもかなり名の知れたメーカーと言うことに異を挟む方はいらっしゃらないでしょう。

この会社の博物館にはさまざまな光学機器、眼鏡から顕微鏡、オペラグラス、双眼鏡、カメラ、測量機器などが展示されています。

 

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