1. ホーム
  2. 日本人ドライバーのブログ

日本人ドライバーガイドのブログ

日本人ドライバーガイドのブログ

アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 2

アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 2

2016年06月22日

プラットホーム

 

到着した人たちが並べられている様子

 

プラットホームの前の建物

 

ガス室に送られる人たち

 

ガス室の模型

 

ヨーロッパ各地から強制輸送の貨車に乗せられて一度に約千人もの人たちがこの地に送られてきました。

貨車から投げ出されるように降ろされた人たちは、男女別に並ばされ、生死を分ける選別を受けましたが、それに従事する収容者たちは、到着した子どもたちには、「年齢を聞かれたら14歳だと応えろ!」、子供連れの若い母親には、「子供から手を離せ!」と囁き、できるだけ生存者を残すように声をかけました。

 

アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 1

アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 1

2016年06月22日

引込線と司令塔

 

収容所見取り図。左からB1,B2,B3収容所。
B1は後の女性、B2は男性、B3はハンガリーからの女性が収容されました。



 

バラック内部

 

木造バラック内のトイレ

 

レンガ造りのバラック

 

1941年10月、アウシュヴィッツ基幹構成種幼女から約3キロほど離れた場所に、1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)の敷地にビルケナウ強制収容所が開設されました。

この収容所には、最初なレンガ造りのバラック、その後に。本来であれば52頭の馬を収容する厩舎を使用した木製バラック群が設置されました。

よく映画などで紹介される司令塔を通る引き込み線は、1944年5月にハンガリーからの約40万人のユダヤ人を受け入れるために設置されたものになります。

労働に耐えられない老人や14歳未満の子どもたちは、左に寄せられ、そのままガス室に送られました。


 

アウシュヴィッツ強制収容所 6

アウシュヴィッツ強制収容所 6

2016年06月22日

チクロンB

 

ガス室外部

 

ガス室内部

 

ガス投入口

 

死体焼却炉

 

元々は殺虫剤として開発された生産ガス系化合物チクロンBが殺戮に使用されたのですが、1500人を殺害するのに5-7キロ使用され、所掌時間は15-20分程度でした。

この収容所に残されているガス室は、戦後再建されたものになります。

 

アウシュヴィッツ強制収容所 5

アウシュヴィッツ強制収容所 5

2016年06月22日

収容者たちの名前が書かれたトランク

 

義足やコルセット

 

食器類

 

メガネ

 

 

多くの国から輸送されてきたユダヤ人の持ち物は略奪され、収容者達によって仕分けされてからドイツ本国に送られました。

髪の毛はフェルトの材料、時計などはドイツ軍兵士に支給され、今でも膨大な量の仕分けされた品物が展示されています。

 

アウシュヴィッツ強制収容所 4

アウシュヴィッツ強制収容所 4

2016年06月22日

オーケストラが演奏した場所

 

「働けば自由になる」と表示されたゲート

 

強制労働の様子。
カポ(監督囚人)に急き立てられて労働する様子。

 

 

売春施設だった24aブロック

 

収容者たちは、劣悪な生活環境の中で、周辺の軍需工場などで過酷な労働を強いられたのですが、毎日、門の前でオーケストラが演奏する行進曲に合わせて、「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」と表示されたゲートを通って強制労働に向かわされました。

ゲートのそばの24Aブロックには、後に収容者たちの労働を鼓舞する目的で、女性収容者を利用した買収宿が設置されました。



 

<< 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 >>
ページの先頭へ

表示:スマートフォンPC