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日本人ドライバーガイドのブログ

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ヒルデスハイムドイツ世界遺産のヒルデスハイム個人旅行

ヒルデスハイムドイツ世界遺産のヒルデスハイム個人旅行

2013年12月21日

旧市役所



 

肉屋の同業者組合の建物(右)と製パン業同業者の建物



 

破壊を免れた旧市街地



 

聖マリア大聖堂



 

聖ミヒャエル教会



 

北ドイツのハノーヴァーから30キロほど離れた人口10万人ほどの町ヒルデスハイムは、日本人にはなじみのない町ですが、すでに西暦815年にはここに司教区が置かれ、ハンザ同盟の一員としえ栄えました。

不幸なことに、第2次世界大戦で町の大部分破壊されたのですが、多くの歴史的建造物が再建され、特に市役所の周辺と大聖堂、聖ミヒャエル教会は、ロマネスク様式の代表的建造物として、世界遺産に指定されました。



 

ビュルツブルク 3 マリエンベルクの要塞ドイツ|個人旅行|手配|ロマンチック街道

ビュルツブルク 3 マリエンベルクの要塞ドイツ|個人旅行|手配|ロマンチック街道

2013年12月10日

要塞の壁

 

聖ギョルク門

 

 

ケッペレと呼ばれる巡礼教会

 

マリエンベルのテラスから旧市街を望む

 

ビュルツブルクの町を見下ろすようにマリエンベルクの要塞が聳え立っています。

この場所に紀元前1000年以上前にケルト人が避難場所を作ったと言われていますが、後にはレジデンツが完成するまで大僧正の居住館として使用されていました。

1525年、ドイツ農民戦争の折には、この要塞をめぐって大激戦が行われ、市長であった彫刻家のティルマン・リーメンシュナイダーは捕縛されて彫刻ができないほどに厳しい処罰を受けました。

現在では、要塞の一部がマイン・フランケン博物館、レストラン、古文書館として使用されていますが、時間的な理由で私自身も入ったことがないのです。

ドイツ個人旅行のお客様をご案内する場合、ご希望により、この町の古城ホテルを手配することがあります。

 

ビュルツブルク 2 旧市街

ビュルツブルク 2 旧市街

2013年12月10日

アルテ・マインブルッケからマリエンブルクの要塞を望む



 

観光客でにぎわうアルテ・マインブルッケ



 

大通りと大聖堂正面



 

ノイミュンスター



 

旧市役所



 

ビュルツブルクは第2次世界大戦が終了する2ヶ月前の大空襲によって町の半分以上が破壊され、マイン川の廃墟と呼ばれました。

レジデンツもかなり破壊されたのですが、世界最大の天井のフレスコ画は奇跡的に直撃弾をまぬがれ、オリジナルのままに残っています。

旧市街も、できるだけ古い町並みを再建すると言う方針の元に再建され、多くの観光客を惹き付けています。

旧市街では、特に14世紀に遡るマイン川にかかるアルテ・マインブルッケと、その延長上にある旧市役所、大聖堂、そしてノイミュンスターなどをご見学なさってはいかがでしょうか?

ちなみに、幕末に長崎のオランダ商館の医者で、日本の産婦人科医にとっては神様とも言えるシーボルトはこの町の出身ですし、レントゲンは1895年にこの町でX-線を発見しました。



 

ビュルツブルク 1 レジデンツ

ビュルツブルク 1 レジデンツ

2013年12月09日

レジデンツ正面

 

フランコーニア像
吟遊詩人ヴァルター・フォン・デア・フォゲルヴァイデ(左
彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダー

 

レジデンツ側面

 

庭園

 

レジデンツ背面

 

ビュルツブルクは、日本人にとって一番おなじみのrマンチック街道の出発点であり、終着点でもあります。

人口約13万5千人のこの町は、西暦689年にアイルランド人、聖キリアンがこの地に宣教のために赴いたのが始まりで、704年に古文書に登場します。

それ以来、キリスト教の拠点として司教区が置かれ、教会とともに発展して来た町になります。

中でもバルタザー・ノイマンによって設計され、1919年から79年まで建造されたレジデンツは、ドイツバロック建築の最高傑作のうちのひとつとして知られており、中でもイタリアの巨匠ジョヴァン二・ヴァチスタ・ティアポロによる600平方メートルに及ぶ世界最大のフレスコ画は見ごたえがあります。

 

バイロイトドイツ|個人旅行|手配|バイロイト

バイロイトドイツ|個人旅行|手配|バイロイト

2013年12月08日

ワーグナーの胸像と祝祭K劇場

 

コジマ・ワーグナーの胸像

 

辺境伯歌劇場

 

ヘミルタージュ宮殿

 

バイロイトはロマン派の大作曲家リヒャルト・ワーグナーをはずして語るわけには行きません。

と言うより、ワーグナーがこの町を引き付けているといっても過言ではないでしょう。

毎年7~8月にかけて開催されるバイロイト音楽祭の時期になると、世界中からワーグナーファンが集まってきます。

ワーグナーファンは観客ばかりではなく、演奏する人たちもそうなのです。

ワーグナーのオペラ上演には大編成のオーケストラと優秀なオペラ歌手、コーラスメンバーを必要とするばかりではなく、その舞台装置も大掛かりなものになるので、どこでも上演されるわけではないのです。

そういうわけで、ワーグナー大好きなオケマン、歌い手、そして裏方さんたちが「ワーグナーを演奏したい。バイロイト音楽祭に参加できるだけで満足」と言った人たちが世界中から集まってきます。

当事者全員が好きなワーグナーの上演に参加できるのですから、最高の上演が期待できるわけで、それを鑑賞できる人たちの喜びは計り知れないものになるでしょうし、チケットが入手できるのは奇跡と言われています。

出演者にとっては、「バイロイトの舞台に立てた。バイロイトのオケに参加した」、というひとたちは、それだけで箔が付くというものです。

世界にはこういうワーグナーファンがいるのですが、こういう人たちは「ワグネリアン」と呼ばれます。

この町の見所は、そのワーグナーが上演される祝祭歌劇場、それに加えて、市内にある小さいながらも煌びやかな辺境伯歌劇場、そして時間があれば郊外のヘミルタージュと呼ばれる宮殿でしょうか。

ドイツ個人手配旅行の際、辺脅迫内部の写真を載せたかったのですが、デジカメのバッテリーがちょうど切れてしまい、撮影できませんでした。残念!!


 

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