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日本人ドライバーガイドのブログ

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ニュルブルクリンク

ニュルブルクリンク

2013年10月22日

ニュルブルクの城跡

 

サーキット入り口

 

疾走する車

 

 

フランクフルトから北西にアウトバーンを走らせ、コブレンツを超えると間もなくニュブルクリンクの表示が見えてくる。

この小さな村にあるサーキット場は、ノルトシュライフェと呼ばれる約20.8キロのコースと、5.1キロのGPコースに分かれているが、ノルトシュライフェは、一般にも開放されており、特に週末にもなると、ドイツ全国はもちろん、遠くはイギリスからも、このコースを走るためにファンがやってくる。

集まった人たちh、当然スピード狂ばかりで、チューンアップした自分の車を、それぞれ思いのまま、猛スピードでコースを走らせる。

コースではエンジンの爆音が鳴り響き、急カーブでは、ブレーキパッドの焦げるにおいや、タイヤがきしむ音を楽しむことができる。

コースの周辺では、それをまた見物に来る人たちもおり、この周辺は結構賑やかになる。

私も自分のミニバスで何度か回ったことがあるが、カーブばかりではなく、山あり谷ありのコースは、スピードを出して走ると非常に危険だと言うことがわかる。

そういうわけで、回りに対する迷惑を省みずに安全運転で走ったら23分ほどかかってしまいました。

 

ニュルンベルク その3 ナチスの足跡

ニュルンベルク その3 ナチスの足跡

2013年10月01日

大集会場

 

集会場に隣接するサッカー場が見えます

 

グローセ・シュトラーセ(大通り)

 

コングレスハレと呼ばれる馬蹄形の会議場

 

未完成に終わった会議場の内部

 

このニュルンベルクは、中世のドイツの様子を留める町として、かのヒトラーが最も好きだった町になります。

そういうわけで、彼はこの町で100万人の観衆を集めた党大会を開催し、そのために巨大な集会場を建築させました。

その集会場、グローセシュトラーセ(大通り)、馬蹄形の会議場などが今でも残されています。

1935年には、ユダヤ人との婚姻を禁止するなどの、悪名高いニュルンベルク法が制定されました。

現在では、このナチスの蛮行に対して目をそらさない、と言う意味で、会議場の中にナチスのドキュメントセンターが設立されました。

 

ニュルンベルク その2 「クリスマスマーケット」

ニュルンベルク その2 「クリスマスマーケット」

2013年08月29日

マーケットの夜景

 

マーケットには多くの屋台が並びます

 

こういうクリスマスの飾りつけの人形が並びます

 

 

おいしいニュルンベルガーソーゼージ

 

日照時間が短くなり、寒くて気が滅入るドイツの冬も、11月の終わりごろから12月22日ごろまで開かれる、クリスマスマーケットの時期だけは非常に煌びやかで賑やかな時期となります。

普段、つましい生活を贈っているドイツ人にとっては、お互いにプレゼントを交換するクリスマスが最も楽しみなイヴェントと言えるでしょう。

マーケットにはクリスマスの飾り付けやお菓子などを求める買い物客や、家族や友人たちとグリューワインと呼ばれるホットワインを飲みながらお店を冷やかしている人たちで溢れています。

ちょうどこの時期は、日本からの航空チケットが安くなる時期でもあるので、大勢の観光客が押し寄せ、特にニュルンベルクのクリスマスマーケットは世界的に有名で、ドイツ個人旅行でクリスマスマーケットめぐりをご希望のお客様も、必ずこの町をスケジュールに組み入れることにしています。


 

ニュルンベルク その1

ニュルンベルク その1

2013年06月12日

宮城高台から眺めたニュルンベルクの町

 

宮城

 

聖ローレンツ教会

 

レグニッツ川と旧修道院の病院(現在レストラン)

 

中世の面影を残す町

 

ニュルンベルク派人口約50万人のバイエル集でミュンヘンに次ぐ第2の大都市になります。

この町を流れるレグニッツのそばに高台があり、そこにお城が築かれ、街を見下ろして保護するような形で町が発展していきました。

ドイツの多くの皇帝がこの町に好んで滞在し、特にプラハのカレル橋を築いたカール4世は、1356年に黄金文書と呼ばれる金印勅書で、皇帝即位後の最初の帝国議会をこの町で開催させました。

16世紀にはアルブレヒト・デューラー、アダム・クラフト、ファイト・シュトース、そしてハンス・ザックスといった芸術家を抱え、最高期を迎えます。

日本人であれば誰でも1度は聞いたことのあるパッヘルベルのカノンで有名なパッヘルベルは、この町の聖セルバドス教会のオルガン奏者でした。

また、この町はヒトラーが非常に好んだ町でもあり、ナチスの時代には党大会が開催され、ユダヤ人を疎外する悪名高き「人種保護法」が定められた街でもあります。

戦争で町は55%が破壊されたものの、できうるだけ昔の面影を再現するという計画の下、中世の町の雰囲気を残す町として観光客を惹き付けています。

 

ナンシー

ナンシー

2013年05月26日

スタニスラフ広場

 

宮城

 

凱旋門

 

 

 

ドイツ国境に程近い、ロレーヌ地方の中心地で、鉄鋼の町、そしてアールヌーボーの町として知られるナンシーに寄ってみました。

この町は18世紀にスタニスラフ公によって現在の町が作られたのですが、1870−71年の普仏戦争の結果、ドイツ帝国に併合された後、新たな繁栄と文化を築き上げました。

特に、15世紀から盛んであったガラス工芸では、有名なエミール・ガレが活躍します。

町の見所は何と言っても中心のスタニスラフ広場でしょう。

ここでちょっとした休憩を取りました。

 

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