キューケンホーフ
キューケンホーフ
アムステルダムから南西に30キロほど行くと、キューケンホーフ公園に
たどり着きます。
ここには32ヘクタールの敷地内に450万株のチューリップを中心に
700万株の花が咲き乱れ、その周辺の農地でもチューリップが
植えられており、天気のいい日に訪れると、その見事な咲きぶりに
圧倒されます。
公開されている期間は、3月下旬から5月下旬にかけてのわずか
2ヶ月間。
天気のいい日には、これこそオランダ!!と言う感銘を受けること
請け合いです。
エダム(オランダ)
エダム(オランダ)
多くの観光客が訪れるフォーレンダムに行く途中に、チーズで有名なエダムに寄ってみました。
人口7千人ほどの小さな町ですが、エー川がゾイデル海に注ぐ河口に位置し、ここにダムが造られて上流に行く船は、ここでいったん荷物を積み替える必要が生じ、それに課税したことで発展していきました。
エー川のダムということで、「エダム」と言う名前が生まれたわけです。
16世紀には造船で栄え、オランダ屈指の造船の町となったのですが、河口が塞がれてから港湾業は衰退し、今ではエダムチーズの生産地として世界中に知られています。
観光用に7,8月の水曜日に観光客のためにチーズマーケットが開かれます。
エダムチーズは保護のために赤いワックスがかけられていますので、日本にお土産に持って行くのは問題ありません。
観光客もほとんど見かけることもなく、町を回るのには30分ほどあればできますので、ちょっと寄り道をしてもよろしいでしょう。
アントワープ
アントワープ
アントワープは人口約25万人のベルギー第2の都市になります。
この町を流れるスヘルデ川を通る船に通行料を求めていた巨人アンティゴンが、それに応じない船乗りの手を切り取り、川に投げていたのですが、逆にローマ戦士のブラボーがこの巨人の手を切り取って川に投げた、ハント(手)ヴェルペン(投げる)から、アントワープという名前ができたと言われており、その銅像が市役所前に置かれています。
14世紀ごろ、ズウィン川の堆積によってブそれまで栄えていたリュージュが衰退し始め、交易の場所がアントワープに取って代わられて以来、この町は飛躍的に発展を遂げ、1560年にはアルプス以北で最大の都市に成長します。
バロック時代の巨匠ルーベンスはこの地にアトリエを構え、多くの名作を残しており、特に町の中心にある、ベルギーで最も高い123メートルの尖塔を持つ聖母教会には、「キリストの昇架」、「キリスの降架」、そして「フランダースの犬」の主人公ネロが、どうしても見たかった「マリアの昇天」が置かれています。
また、この町はダイヤモンドの町としても有名で、駅前の左側の一角には多くのダイヤモンド店が軒を並べ、ダイヤの取引に従事していると思われる黒服を着てカールしたもみ上げの正統ユダヤ人の姿をこの付近で見かけることもあります。
アムステルダム
アムステルダム
オランダの首都アムステルダ約80万人をカ抱える大都市ですが、13世紀にアムステルの河口にダムが築かれ、港町として発展したのですが、16世紀にはアントワープから多くの商人たちがこの町に移住し、バルト海のみならず、新大陸の貿易港として栄えました。
町はアムステルダム中央駅から扇状に広がり、多くの運河で繋がれているのですが、ベニスと同じように、地盤が軟らかいために、無数の木の杭が打ち込まれ、この上に建物が建てられました。その理由で、数百年経った今日では、傾斜した建物が多く見受けられます。
ちなみに、その木材は、ライン川を利用した筏流しでドイツから運ばれたそうです。
荷揚げのための運河に近い土地が高いために、建物は入り口が狭くて奥行きが深い形で作られ、階段も非常に狭く、商品や家具などを吊り上げるための釣瓶がいまだに利用されています。
オランダは、昔から世界で最も自由な国として、出版、言論、思想の自由が保障されているため、多くの文化人たちがこの国に亡命先を求め、外国人に対してもかなり寛容と言えるようです。
アムステルダムといえば、「飾り窓」、とイメージする方も多いと思いますが、明日の命さえ分からない危険を伴う、そして男ばかりの職場で命を張りながら働いている船乗りたちの気晴らしは、「宵越しの金など要らねえ!!」、とばかり、酒を飲み、風俗営業に足を運んだのかもしれません。
割り勘ということを意味する、「ダッチアカウント」、というのは、元々は、「明日の命さえ分からない同士だから、貸し借りはなしにしよう」、ということから来ているのではないでしょうか?
町は中央駅から真っすぐ伸びてダム広場までの道を中心として、その左側に飾り窓や中華街、アムステルダム国立美術館、ゴッホ美術館、アンね・フランクハウス、コンセルトヘボウなどでしょうか。じっくり見るには2-3日は必要でしょう。
時間があまりないのであれば、中央駅前から出る運河めぐりとダム広場周辺、そしてアンネ・フランクハウスなどがお勧めです。
ミュンヘンのオクトバーフェスト
ミュンヘンのオクトバーフェスト
ミュンヘンといえば、何と言ってもビール!!
毎年10月第1日曜日を最終日として16日間にわたって開催される最大のビール祭りがオクトーバーフェストです。
去年は約700万人が訪れ、700万リットルのビールが消費されたとのこと。
この期間になると、ミュンヘンのホテルの値段は跳ね上がり、団体旅行は100キロ以上も離れた町に飛ばされることも。
個人旅行のお客様で、「オクトーバーフェストを体験したい」、という方が、私のリムジンサービスをご利用なさる方もいらっしゃるのですが、どうしても郊外のホテルを取ることになる、私は当然飲むことを許されません。
このオクトーバーフェスト、もともとは1810年にバイエルンのルートヴィッヒ皇太子とザクセンのテレーゼ皇女が結婚式の際に競馬大会を行ったのが始まりですが、その後次第に毎年のようにお祭りが開催され、メリーゴーランドが設置され、ビールやローストチキンの屋台が出るようになったということです。
ビール好きの人には、そんな歴史的なことはどうでもいいでしょう。
2012年9月22日の今日はその初日。
最初の1杯目は当然のことながらミュンヘン市長が頂き、これが合図でオクトーバーフェストが始まるわけです。
初日はミュンヘン周辺、オーストリアなどから、民族衣装を着飾った多くの団体がパレードをするのですが、ミュンヘンにある6つのビール会社のビールを乗せた馬車も登場します。
そして1万人は収容できると思われる大きなビールテントには、ビール好きの老若男女が、ラディと呼ばれる二十日大根やローストチキンなどをつまみながらマースと呼ばれる1リットル入りのビールジョッキを傾けるのです。
厳格な顔をしているドイツ人たちも、この会場に一歩入ると、ニコニコしながら、そしてまるでディスカッションしているような大声で会話を楽しむのです。
その中を重いジョッキを、時には10個も持ちながらウエートレスのお嬢さんが給仕のためにてんてこ舞いで歩き回り、テントの中央に置かれた舞台ではブラスバンドが景気づけにバイエルンの民謡などを演奏します。
誰も彼もビールを飲んでご機嫌な顔ばかり。どこかの国のように、酔っ払い同士が喧嘩をしていると言う光景は見たことがない。
これもドイツ人気質なのでしょうか?